大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和50年(ネ)191号 判決

控訴人

多比良美代子

右訴訟代理人

高田照市

被控訴人

日産火災海上保険株式会社

右代表者

金森直一

右訴訟代理人

岸田昌洋

外一名

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人は、控訴人に対して金五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一〇月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じて全部被控訴人の負担とする。

四  本判決は、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一〈省略〉

二控訴人は、武夫は、本件自動車を所有して自己のために運行の用に供していた者であり、亡雅和は自賠法第三条本文いう「他人」に該当するから、武夫は同法同条本文の規定より、本件事故で亡雅和の生命が害されたことに因つて生じた損害を賠償する責任がある旨主張する。

(一)  よつて先ず、武夫が本件事故発生のとき、本件自動車につき、自賠法第三条本文にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」(以下、これを単に「運行供用者」ということがある。)に該当したか否かについて案ずるに〈証拠〉によれば、武夫はかねてより砂川市に居住し、同所で歯科医を開業しているものであつて 昭和四二、三年頃、小型乗用自動車プリンスグローリヤ(札五ふ二六二八号)である本件自動車を購入して爾来これを自分で使用し、維持管理して、その運行を支配してきたものであつて、その保有者であることが認められる。

ところで武夫が本件事故発生の日の数日前に、牧村に対して本件自動車を、期間を数日間の約束で貸与したことは当事者間に争いがない。而して〈証拠〉によれば、武夫が牧村に対して右のように本件自動車を貸与したのは、武夫とその妻である控訴人との間の子であつて、日本大学歯学部で牧村の一年先輩に当たり、昭和四五年三月に同校を卒業して、卒業後、大学院生として母校の生化学研究室に在職すると共に歯科医師として同年六月頃から東京都杉並区阿佐ケ谷で歯科医を開業していた亡雅和(武夫、控訴人、亡雅和の身分関係については当事者間に争いがない。)から、昭和四六年九月二四、五日に札幌の北海道大学で開催される東日本生化学学会北海道大会、日本歯周病学会に出席する、亡雅和の所属する前記研究室に関係の日本大学歯学部教授、同講師、助手らの一行六名の、札幌での宿舎と右学会会場との間の送迎用として、また、右学会に出席後の、右教授ら一行の道東方面観光旅行用として、右研究室で助手をしている牧村に本件自動車を貸してやつてほしいと頼まれたためであつたこと、武夫は当時牧村と面識はなかつたが、右のような事情で右貸与は無償でなされたことが認められる。右認定に反する証拠はない。

前段認定の事実によれば、武夫から牧村に対する本件自動車の貸与は、全くの好意によるものであり、その期間も比較的短く、而もそれは一応のものであつて牧村としても、武夫から本件自動車を借りなければ他に方法がなかつたという底のものとは認められないから右貸与期間中と雖も、若し武夫が自ら本件自動車の使用を必要とする事態が生じたときは、牧村に対してこれを返してくれということはできたものと考えられる。そうだとすると、武夫が牧村に対して本件自動車を貸渡したとしても、それによつて本件自動車についての武夫のいわゆる運行支配が失われてしまつたものと認めることはできない。従つて武夫は、本件事故発生のときも、依然として本件自動車につき右運行支配を有したものというべきであるから、武夫は本件事故が発生したときに本件自動車の運行供用者であつたといわなければならない。

よつて本件事故発生のときに武夫が本件自動車の運行供用者であつた旨の控訴人の前記主張は、肯認できる。

(二)  次に、本件事故発生のとき、亡雅和が自賠法第三条本文にいう「他人」に該当したか否かについて考察する。

1  自賠法第三条本文にいう「他人」とは、本来、運行供用者以外の人という意味である。このことは、同法同条本文の文理上明白である。

ただ、同法同条但し書があるため、同法にいう運転者(以下、単に「運転者」というときは自賠法上のそれをいう。)が自動車の運行によつてその生命又は身体を害されても、運行供用者は当該運転者に対しては同法同条本文に基づく損害賠償の責は負わないものと解されるので、運転者は、運行供用者以外の人という本来の意味では「他人」であるにかかわらず、運転者であるということのゆえにその「他人」性が阻却されるものと解さざるを得ない。同法同条但し書がなければ運転者の「他人」性が阻却されることはないのであるから、その意味で、運転者の「他人」性阻却の根拠は、同法同条但し書ということができる。

右のとおりであるから亡雅和は、運行供用者でない限り、右「他人」に該当するものであり、運転者でない限り、右「他人」性を阻却されることはないものである。

2  ところで、被控訴人は、先ず、亡雅和は、本件自動車の運行供用者であつたから、自賠法第三条本文にいう「他人」には該当しないと主張する。よつて案ずるに、

(1) 自賠法第三条の解釈上、運行供用者性認定事準としての運行支配は、必ずしも直接的、具体的であることを要せず、間接的、潜在的、抽象的なものであつても足りるとされ、前判示の武夫の運行供用者性肯認も亦かかる見地に立脚したものにほかならない。また、一個同一の自動車による一個同一の人身事故において、被害者以外の複数の者が運行供用者でありうることが肯定されているが、これらは畢竟かかる解釈が同法第一条に謳われている自動車事故被害者保護の目的に添うものであるからにほかならない。右のとおりであるから、自動車人身事故被害者保護の見地から出発した右のような運行供用者性認定基準ないし複数運行供用者肯定の理論を、自動車人身事故被害者が特定の運行供用者に対して損害賠償を求める場合につき、安易に当該被害者に適用し、それによつて右被害者を当該運行供用者と並ぶ共同運行供用者となすことにより、右被害者の「他人」たることを否定し、その者から自賠法による保護を奪つてしまうときは、本末顛倒のそしりを免れないであろう。さればといつて、かかる場合の被害者のために運行供用者性の認定基準を厳しくすることによつて右被害者の運行供用者性を否定し、以つてその「他人」性を確保して自賠法による保護を与えることにするならば、かかる方法は彌縫的であり、便宜論的であるとの非難を免れないであろう。また、被害者によつて運行供用者として訴求されている者と当該被害者とのいずれもが運行供用者に該当する場合、当該自動車に対するそれぞれの運行支配の態様を比較して或る場合には後者を「他人」としてこれに自賠法の保護を与え、或る場合には、後者を「他人」に非ずとしてこれに自賠法の保護を与えないことにすることも考えられるが、この方法は、一見巧妙の如くではあるが、その理論的根拠が必ずしも明らかでないのみならず、その明確な適用基準を発見することも困難であり、所詮、一種の便宜論にすぎないものの如く思われる。当裁判所としては、以上のいずれにも賛することができない。

(2) 思うに、自賠法第三条にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」とは、当該自動車の運行によつて「他人」の生命又は身体を害したきは、原則として、これによつて生じた損害を賠償すべき責に任ずべき者であるから、それは、右のような損害を被つた運行供用者以外の人としての「他人」即ち被害者(自賠法第一条、第一六条等にいう「被害者」とは、かかる者をいうものと解する。以下、「被害者」というときはかかる者をいう。)に対する一種の法的地位であつて、被害者を当然の前提とするものである。被害者を前提としない運行供用者の如きは法的に無意味である。被害者が被害者たると同時に被害者としての自己に対する運行供用者でもあるなどということは、自賠法第三条の解釈として成り立ち得ない。また、運行供用者(甲)に対して被害者たる者(乙)が、自己以外の他の被害者に対する関係では、運行供用者であるという場合もありうるが、それは、当該運行供用者(甲)と当該被害者(乙)との関係とは別個の法的関係であるから、それによつて、当該運行供用者(甲)と当該被害者(乙)との関係が左右されるものではなく、当該運行供用者(甲)と当該被害者(乙)との関係において、当該被害者(乙)が被害者でなくなるなどということはあり得ず、従つて当該被害者(乙)が運行供用者になるなどということも起こり得ない。

(3) 亡雅和が本件事故発生時本件自動車の運行供用者であつた武夫以外の人であつて本件事故における被害者であつたことは、前判示したところによつて明白である。そこで前段説示の見地に立つて被控訴人の前記主張をみるに、亡雅和を本件自動車の運行供用者であつたとする被控訴人の前記主張は、若しそれが被害者を前提としないのであれば法的に無意味なものであるし、若しそれが亡雅和を被害者として前提したものであれば、それは自賠法第三条の解釈上成り立ち得ない法的関係の主張であるし、若しそれが亡雅和以外の被害者を前提としたものであれば、それは武夫と亡雅和との間の運行供用者対被害者としての関係とは別個の法的関係の主張であつて、主張自体、それによつて武夫と亡雅和との間の右の関係を左右し得るものではないから、その意味において武夫と亡雅和との右の関係にとつては無意味なものといわざるを得ず、それによつて亡雅和が武夫に対する関係においても本件自動車の運行供用者になるなどということはあり得ない。

右のとおりであるから、亡雅和が本件事故発生のとき、本件自動車の運行供用者であつた旨の被控訴人の主張は、それ自体失当であるか若しくは無意味なものであるかのいずれかであるから、これを前提として、亡雅和が自賠法第三条本文にいう「他人」ではなかつたという被控訴人の前記主張は、採るを得ない。

3  次に、被控訴人は、亡雅和は、本件事故発生のとき、本件自動車の運転補助者として自賠法上の運転者であつたから、自賠法第三条本文にいう「他人」には該当しないと主張する。よつて案ずるに、

(1) 亡雅和が本件事故における被害者であることは前判示のとおりであるが、若し同人が運転者に該当したとすれば、同人の「他人」性は阻却されること前判示のとおりである。右「他人」性の阻却とは、その実質は、転行供用者に対して原則として損害賠償を求め得べき一種の法的地位としての被害者性の阻却にほかならないものであることはいうまでもない。

(2) ところで、自賠法上の「運転者」とは、「他人のために自動車の運転又は運転の補助に従事する者をいう」(同法第二条四項)ものであり、右「他人のために」とは、他人の運行支配のもとにの趣旨に解するのが相当である。

(3) 〈証拠〉によれば、亡雅和は、日本大学歯学部の後輩で、婚約中であつた訴外露木操をつれて、前記学会に出席する傍ら、結婚の準備のため昭和四六年九月二二日に来道し、砂川の生家に泊つていたが、同月二五日の朝、本件自動車を牧村に貸すつもりの武夫の了承のもとに、砂川の生家から本件自動車を運転して、前記教授らが宿泊している札幌市内のグランホテルに至り、同所において本件自動車を牧村に引渡したこと、牧村は、同日本件自動車を運転して右ホテルから前記学会の会場まで教授らを送迎したこと、前記教授ら一行は、かねてからの旅行計画に従い同日午後六時頃、先ず、滝川に行くことになり、牧村が本件自動車を運転し、前記教授らを同乗させて同日夜に滝川市での宿舎フアミリーランドに至つたこと、亡雅和は露木と共に同日夕刻汽車で札幌から砂川の生家に帰つたが、同日午後一〇時頃牧村らから呼び出しがあつてフアミリーランドに行き、同夜そこに泊つたこと、ところが、右一行のうちの教授、講師が急用のため翌朝帰京することになり、本件自動車に余席ができたので、一行の網走方面への旅行に、当初参加する予定のなかつた亡雅和が、牧村らに誘われて案内役を兼ねて露木と共にこれに参加することになつたこと、それで亡雅和は翌九月二六日早朝本件自動車を運転して砂川の生家に戻り、そこに泊つていた露木を伴つてフアミリーランドに引き返したこと、そして牧村が本件自動車を運転し、亡雅和、露木及び訴外山根和夫らがこれに同乗して前記旅行に出発し、途中、層雲峡、サロマ湖などを見物して網走市に至り同日そこで一泊したこと、そして同月二七日次の観光地に向うため、牧村が本件自動車を運転し、亡雅和が助手席に同乗して進行していたときに、本件事故が発生したこと(本件事故発生時に、亡雅和が本件自動車の助手席に座つていたことは、当事者間に争いがない)、本件自動車は、滝川を出発してから、本件事故が発生するまで合計約一〇時間走行したが、その間牧村と亡雅和は適宜交替しながら本件自動車を運転し、右走行時間のうち約三分の二を牧村が、その余を亡雅和が運転し、同月二七日は本件事故が発生するまですべて牧村が運転したこと、本件事故がなかつたとすれば、一行はさらに二泊位して観光地を周遊する予定であつたこと、なお右旅行に要した本件自動車のガソリン代については、右旅行に参加した一行全員が割勘で負担する約束であつたが、途中二回位給油したガソリン代金は、すべて亡雅和がその所持していたチケツトで支払つたこと、なおその精算は未だされていないこと、以上の事実が認められる。〈証拠判断省略〉

(4) 右認定の事実によれば、亡雅和は、本件事故発生のときに本件自動車の運行につき、事実上相当の支配力を有していたものと推認され、本件自動車を運転していた牧村のために単に運転の補助に従事していたものとは認め難い。仮令亡雅和が本件事故発生のときに本件自動車の助手席に座つて牧村のために道案内をしていたものとしても、右の結論を左右することはできない。そうだとすると、亡雅和が本件事故発生の際、本件自動車の運行供用者である武夫の運行支配のもとに本件自動車の運転の補助に従事していたものとは認め得ず、従つて自賠法上の運転者とは認め得ない。

因みに、前認定の事実によれば、本件事故発生の際、牧村は武夫を運行供用者とする本件自動車の運転者であると同時に、自らも亦その借受人として本件自動車の運行供用者であつたと認められるのであるが、亡雅和は、単に牧村の運転補助に従事していたものとは認め得ないこと前判示のとおりであるから、同人は運行供用者としての牧村との関係においても、自賠法上の運転者ではなかつたものである。

(5) 右のとおりであるから、亡雅和が本件事故発生のとき、自賠法上の運転者であつたことを前提として同人が同法第三条本文にいう「他人」には当らないとの被控訴人の前記主張は採るを得ない。

4  以上のとおりであるから、本件事故につき、亡雅和は、自賠法第三条本文にいう「他人」に該当するものである。

(三)  そうだとすると、武夫が本件事故によつて亡雅和の生命が害されたことによつて生じた損害につき、自賠法第三条本文の規定によつて賠償の責を負うべきである旨の控訴人の前記主張は、これを肯認しなければならない。

三そこで、本件事故に因つて亡雅和の生命が害されたことに因つて生じた損害について検討する。

(一)  先ず、亡雅和の損害と控訴人による亡雅和の損害賠償債権の相続について案ずるに、

1  前判示のとおり亡雅和は本件事故にあつた当時歯科医師として歯科医を開業していたものであるが、〈証拠〉によれば、亡雅和は昭和二〇年七月一日生れであつたことが認められるから、本件事故当時二六歳余であり、健康に問題があつたと認められるような証拠は何もないから、若し本件事故にあわなかつたとすれば、少くとも六三歳余に達するまでの向後三七年間歯科医師として稼働することができたであろうと考えられる。而して〈証拠〉によれば、亡雅和は、昭和四五年度において、即ち右開業後同年末までの半年間に、歯科医営業により金七三万一三八七円の所得収入を挙げたことが認められるので、若し本件事故にあわなかつたとすれば、同人は向後三七年間に亘つて少くとも、年間右金額の倍額である金一四六万二七七四円を下らない年収を得ることができたのであろうと考えられる。それで、その間の亡雅和の生活費を収入の半額とすると、亡雅和は本件事故にあつたことにより、向後三七年間に亘つて毎年得べかりし純収入(前記年収から右生活費を控除した残額)として金七三万一三八七円{1,462,774円×(1−0.5)=731,387円}を喪失する損害を被つたものということができる。右逸失利益は、その現価において即時全額の請求をなしうべきものであるが、これにつき、複式のライプニツツ式計算方法によつて年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故発生現在におけるその価額を算出すると、金一二二二万二二〇八円(円未満切捨)となる(731,387円×16.711(複式ライプニツツ式計算方法による,毎年同額37年間分の現価換算率)=12,222,208,157円)。

よつて亡雅和は死亡の瞬時武夫に対して右金一二二二万二二〇八円の損害賠償権を取得したとものというべきである。

2  武夫は亡雅和の父であり、控訴人は亡雅和の母であることは前判示のとおりであるが、〈証拠〉によれば武夫と控訴人は亡雅和の相続人であることが認められるから、控訴人は武夫と共に亡雅和を相続したものであり、これによつて控訴人は亡雅和の武夫に対する前記損害賠償債権の二分の一にあたる金六一一万一一〇四円の債権を承継取得したものと認められる。

(二)  前判示のとおり、控訴人は亡雅和の母親であるが、控訴人が本件不慮の事故によつて息子の亡雅和を突然に失つたことに因り甚大な精神的苦痛を受けたものと推認される。従つて、武夫は控訴人に対して慰藉料を支払うべき義務があるが、右慰藉料の額は、本件諸般の事情を斟酌すると、金二〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  牧村(同人も本件自動車の運行供用者であつたと認められることは前判示のとおりである。)が本件事故に因る損害賠償として武夫と控訴人の両名に対し、各金三〇〇万円を支払い、これによつて控訴人が本件事故で被つた損害のうち金三〇〇万円が填補されたことは当事者間に争いがない。

右の事実によれば控訴人の武夫に対する前示(一)の2及び(二)の損害賠償債権合計金八一一万一一〇四円のうち金三〇〇万円は消滅したものというべきであるが、しかし、これによつても控訴人の武夫に対する前示損害賠償債権は、控訴人がその主張の亡雅和の葬儀費用支出による損害を被つたか否かを問うまでもなく、少くとも金五一一万一一〇四円は残存すること計数上明らかである。

四本件事故発生当時の自動車損害賠償責任保険契約における被害者死亡の場合についての保険金は金五〇〇万円であつた(昭和四八年政令第三五〇号による改正前の自動車損害賠償保障法施行令第二条一項一号)から、前認定のとおりとすると、控訴人は、被控訴人に対して自賠法第一六条一項の規定に基づき、前記三の(三)末尾記載の残存損害賠償額中、前示保険金額である金五〇〇万円の限度でその支払を求めることができるものというべきであるから、控訴人が被控訴人に対して右金五〇〇万円及びこれに対する本訴状が被控訴人に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四八年一〇月三日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は理由がある。

五よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は失当であるから民事訴訟法第三八六条に則つてこを取消したうえ、控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(宮崎富哉 塩崎勤 村田達生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例